日本企業同士のM&Aが急速に拡大しています。ベンチャー企業によるEXIT、非中核事業を切り離す再編、中小企業による事業承継型のM&Aが活発になっていることが背景にあります。今回、『中小企業買収の法務』(2018年度M&Aフォーラム賞正賞受賞作品)の著者である、柴田 堅太郎弁護士に事業承継型のM&Aにおける法務の実情と課題感についてお話を伺いました。
ー「中小企業買収の法務」を執筆されたきっかけは何だったのでしょうか?
2014年に独立してから、中小企業のM&Aの案件に買主側のアドバイザーとして関与することが多くなりました。それまでは、比較的規模の大きいM&Aに関わることが多かったのですが、中小企業のM&Aならではの特徴的な部分が多いことに気付きました。
中小企業の場合、個人がオーナーシップを持っていることから、交渉態度、意識や資本構造だったりに特殊性があり、大企業と全然違うわけです。それに、中小企業M&Aの財務や会計について触れている本は多々ありますが、法務の問題点についてしっかりと書いてある本は今まであまりなかったので、中小企業のM&Aが増加する中、必要になるだろうな、と思ったのがきっかけです。
コンプライアンス意識の格差
ー本書のなかでは、大きく「事業承継型M&A」と「ベンチャー企業M&A」について書かれていますが、今回は主に「事業承継型M&A」についてお話を伺わせていただきたいと思っております。
大きな特徴でいえば、コンプライアンスの意識の問題。
中小オーナー企業と大手企業では、コンプライアンスに関する危機意識というのは全然違います。そういう意味で、売主と買主の不均衡はすごく感じます。
買主の大手企業からすると驚くようなことはたくさんあり、たとえば、株主総会や取締役会が開催されていない、というのは当たり前のようにあります。形だけの議事録はあったりしますが、実際に開催されていないと、法的にはそこでの決議は存在しないことになりますから実は無意味です。本来は、実際に開催しなくとも、書面決議などの法に則ったやり方がありますが、そういうのも知らないから、おかしなことになる。
残業で時間外割増賃金を支払っていないサービス残業になってしまっていることもザラにありますし、売主と買主のコンプライアンスの意識差は如実に感じます。
コンプライアンス違反は、親会社となる大手企業にとってもリスクですから、こうした問題によってM&Aが決裂するケースも少なくないです。本来的には、中小企業であっても法務の面でも事前に対策をとって進めると良いと思うのです。
法務は定性的なリスク
普段接する機会が少ない
ー実際に中小企業が法的な対応をとれないのは、どのようなことが原因になるのでしょうか?
M&Aを意識した際には、売却に向けての対策を行うとしても、どうしても経理と財務関係のほうに優先順位がおかれる。ここをクリアにすることで、分かりやすくお金に繋がりますから。とはいえ、こちらの面でも事前準備をしている会社はあまり多くはないのだろうと思いますが。
一方で法務は、定性的なリスクですから、後回しになるのでしょうね。
普段を考えてみても、中小企業にはだいたい顧問税理士はいますが、契約交渉で弁護士を雇うケースは稀だと思います。中小企業の場合、基本的に紛争などの揉めごとがない限り、弁護士を使うということはあまりないですから、日常的な問題にはなっていないんですね。これが、いざM&Aという段階になって表面化するわけです。
買手がみつからない段階で、法務的なところの対応はしないですし、みつかれば会計のほうを優先順位高く対策を講じる。結局、法務の問題を問題のまま放置するというケースは非常に多い。
事業承継の出口としてもっとM&Aが一般化されていくでしょうから、今後、着実に準備をする、ということが出てくるかもしれないでしょうが、なかなかいまは見当たらないのが現状ですね。
日常の経営をしていく分には、そのままでいいのでしょうが、そもそも資本政策だったり会計だったりコンプライアンスについての興味も、理解もないのは問題です。
ー規範意識の問題ですね。
中小オーナー企業は、これまで困ったことがない、ということが多いから、キレイにしないといけないというプレッシャーが働かない。上場企業とか、IPO目指すベンチャーとは全く違う。やることに対してのインセンティブが働かないわけで。他社への売却時にはじめて世の中の基準に出くわすわけです。
だから、会社名義で美術品買っているとか、社用車を自分で乗っている、等の公私混同、大企業やベンチャーでは起きないことが平気で起こる。
そもそも本来は、株主が複数いるならばコンプライアンスはしっかりしないといけないのですが。
特に、自分の子供に繋げればベスト、と考えている人には、キレイにしようと言ってもなかなか理解されづらい。
もちろん、全員が全員そうだと申し上げているわけではなく、意識高い社長もたくさん居て、公私混同をしないようしっかり経営されている方もいらっしゃいますよ。
事業計画の延長線上に
事業承継の計画もあるべき
ーたしかに、日常的に直面する問題ではないですし、取り組む必要性が薄いから難しいですね。
ただ、Going Concern(企業が将来的に継続する前提)の観点でいえば、事業計画の延長線上に、本来、事業承継の計画もあってしかるべきなんです。
企業を経営する以上、当たり前のこととして。
ヒト、モノ、カネをもって、そのトップである経営者が計画、その後の事業承継の計画も立ていないといけない。
ヒトの部分でいえば、事業承継は後継者プランも不可避な要素ですよね。
経営者の才覚だけで会社が回ってしまっている状況は実は深刻だろうし、次世代の経営者候補を作らないといけない。一般企業の人材としては、一部のキーパーソンに依存しているという状態があってはならない。これは弁護士としての助言ではないですが、事業承継と一言でいっても究極的には組織作り、ということになるのではないでしょうか。ちゃんと回せる組織にしていかないといけない。
法務も一緒。しっかりと世の中基準で自走できる状態にしておくことが必要になる。特に、事業承継では他社への承継は増加していくでしょうから。
事業承継型M&Aでは売主である中小オーナー企業も適切な法務アドバイザーを起用する必要があると思っています。
ただ、付き合いがある弁護士や知り合いの弁護士がいたとしても、M&A取引の経験があるとは限らないし、実務に通じているわけではありません。売主が買主から提示された契約を十分に理解せずに受け入れてしまうのは、大きなリスクを抱えることになりかねません。
それに先にも言いましたが、事業を継続するという前提があり、そのためにM&Aという選択肢をとるのであれば、事業のリスクを最小化するようにするのは当たり前の話です。
ーありがとうございました。法務の重要性というのを理解できた気がします。ところで、本書を書くにあたり、事例も多く、かなり緻密にまとめられていますが、かなり大変だったのではないでしょうか?
いやあ、体力的にしんどかったですね笑。事例を多くいれているのは、これまでセミナーで話したりするときに、聴いてくれた人の声として、事例を知りたい、という人が多かった。それで、本にするにあたっては、法的な分析を抽象的にまとめるというよりも、具体的な、しかも生々しい事例を通して、どういう問題があって、どういう思考プロセスで取り組んでいくか、それで実際問題どうなのか、ということを示したほうが理解しやすいだろうなと思ったわけです。
ただ、事例の選択は難しかったですね。最適解というのはケースバイケースだから、すべてのケースに当てはまるわけではないですから。それでも、肌感覚として、ありそうな事例を集めました。
■著書紹介
中小企業買収の法務
近年増加している中小規模のM&A案件を「事業承継型M&A」と「ベンチャー企業M&A」に分け、法務上の問題を解説。多く具体的な事例を通じて、対象企業の内部管理体制や予算的制約等をふまえた生きた実務が理解できる1冊。
発行日:2018年9月5日 著者:柴田堅太郎 出版社:中央経済社 単行本300ページ
■柴田堅太郎 弁護士 プロフィール
1998年に慶応義塾大学法学部法律学科を卒業。安田火災海上保険(現損害保険ジャパン日本興亜)を経て、2001年に弁護士登録(第一東京弁護士会)、長谷川俊明法律事務所に入所。2006年ノースウエスタン大学法科大学院を卒業し、長島・大野・常松法律事務所に入所。2007年ニューヨーク州弁護士登録。2014年に独立し、柴田・鈴木・中田法律事務所を開設。
M&A、組織再編、ベンチャーファイナンス、企業の支配権獲得紛争などのコーポレート案件を中心に企業法務全般を取り扱い、M&Aで手掛けたプロジェクト数は数十件に及ぶ。
インタビュー・執筆:株式会社事業承継通信社 柳 隆之